今のこの自分の人生はいったい何のためにあるのか?
今、自分の人生は子どものためにある
今の私は、圧倒的に子どもたちが優先の人生です。
子どもが大きくなったときに『親の愛情を十分に受けて育ってきた』という自信をつけさせてあげたい。
そのために子どもに精一杯の愛情と時間を捧げたい。
これは私自身、親の愛情を受けて育ってきたからです。
親の愛情を受けて育った幼少期に感謝と後悔
親には感謝しています。
しかし、親の愛情を受けてきたがゆえに感謝の気持ちが強く、もっと自分の人生を歩みたかったという後悔もあります。
なぜなら私は自分の人生を切り開いてきたという経験が実感としてあまりないからです。
それを教訓に、子どもには自己肯定感高く、自分の道を自信を持って歩んでほしいという願いがあります。
そしてそのために、やりたいことを自由にやらせてあげたいのです。
幼少期の失敗は親が責任を持つから好きにやれ
人生は実験であり、間違っても挑戦してほしいという自分の後悔から生まれた願いです。
子どもの頃の失敗なんて親が責任を持てば済むことです。
親として、口は出さずに近くで見守り、責任は取るから自由にやりな!というスタンスを大事にしたいと思っています。
『今』の自分の存在意義を考え直す
今、自分がやるべきことは、
×)子どもたちの食費を稼ぐことではない
×)将来の教育費を稼ぐことではない
〇)子どもたちの近くにいて子どもたちの気持ちに寄り添うこと
これだと思っています。
先の事ではなく、大事なのは『今』です。
今、私は子どもたちに必要とされているという実感があります。
言い換えると、今しか必要とされる時期はないと思っています。
子どもたちに必要とされる時期は今しかない
私の子どもは6歳4歳2歳です。
長男
6歳は小1になって楽しそうに小学校に行っています。それでも「お父ちゃんお父ちゃん」と来てくれます。
時には甘えて抱っこ、時にはかけっこのライバルとして、時には宿題の講師として質問してきたり、遊び相手として遊んだり。
次男
4歳の次男はまだまだ子ども。
強い兄には力技で泣かされ、妹には強く出るが弱い者いじめみたいになってしまう始末。
間に挟まれて自分の思うようにいかない日々にぐずりも多くなりがちです。
それでも「お父ちゃんと寝る。お風呂に入る。お父ちゃんのところでご飯食べる」と来てくれます。
娘
2歳末っこもまだまだ子ども。女の子なので口が達者です。食欲も一番あります。いたずらも多いです。
元気に育っていますが、いつも泣かされています。仕方がない部分とそうでない部分と。
〖看護師〗の仕事と家庭のバランスを保てずに葛藤の連続
多忙な病棟での葛藤と疲弊と限界
以前の病棟では、
- 常時多忙
- 追加のタスクが秒単位、優先順位のリセットの連続
- 多重業務、マルチタスク
- 処置時の医師との相性悪
- 残業多い、前残業も多い、時間的拘束
- 委員会や係などの業務外の役割多い
- 仕事での立場の責任の重さによるストレス
- 体力・精神的な疲弊
- 家庭にいられないことへの焦り
がありました。
それによりメンタルが崩壊し、精神的に不安定に陥りました。
辞職も検討しましたが、面談を重ねた結果、勤務体制を変えてみることで合意しました。
というわけで、勤務を夜勤専従に変更してみることになりました。
夜勤専従による良い変化〖朝〗
朝家庭にいる時間が増えたことにより
- 朝の支度・準備に参加できたことで子どもたちも穏やかに過ごせる
- 時間で焦らせることなく保育園に送ることができる
- 時間に余裕をもって子どもたちと接することができる
夜勤専従による良い変化〖夜〗
夜家庭にいる時間が増えたことにより
- お迎えに行くことができる
- 夕食の支度ができる
- 子どもたちが帰ってきてすぐにご飯を食べることができる
- 夕食を一緒に食べることができる
- お風呂に入ることができる
- 夜の時間を子どもたちと一緒に過ごすことができる
- 寝る前の絵本を読むことができる
仕事上でのメリット
役割をなくしてもらったことで
- 持ち帰りの仕事がなくなり、家庭にいるときは家族との時間を優先させることができた
- プライベートでのON-OFFをはっきりさせることができた
- 家にいるときに仕事の心配や不安が減った
〖夜勤専従のデメリット〗2年ほど続けた結果起きた弊害
夜勤専従は規則的に不規則な生活を送る日々
夜勤専従は1ヶ月夜勤しかしない、時間的に不規則で過酷な勤務です。
日中仮眠をして、15時ころ出勤して朝の10時過ぎまで緊張を保ちつつ仕事をしてから帰宅するという生活です。
仕事後に仮眠が出来てもせいぜい2時間くらい。頭痛で眠れなかったり、子どものお迎えで起きたり、昼間なので明るくて眠れなかったり。
そもそも交感神経が優位ですからね。
そんな夜勤専従は2ヶ月連続で担当したら1ヶ月は必ず通常勤務をするという決まりがありました。
しかし私は夜勤専従と夜勤専従の間の1ヶ月間も、特別にほとんど日勤を挟まずに夜勤を入れてもらっていました。
夜勤中も多忙さは別格の病棟だった
夜勤だからと言えど、患者さんみなさんが寝てくれるわけではありません。
- 状態が悪化して急変も多く、
- 緊急入院もあり、
- 終末期でお亡くなりになる方も多く、
- 夜間せん妄の患者さんで暴れる方も多い、
- とてもハードな病棟でした。
夜勤はスタッフが極端に少ない中で大勢の患者さんを担当するので、その中で先に起こることを常に予測し、刻々と変わる優先順位を入れ替えながらの対応が求められます。
まさに一瞬も気が抜けない緊張状態が20時間続く状況です。
とはいえ、自分の力量の中で先を予測して優先順位を組み立てられるため、ある程度時間はコントロールできます。
ですので
「常に他人軸でのタスクに追われる優先順位の組み立てエンドレス」
という精神的ストレスは和らいだと思っていました。
知らずに体力は奪われていった
精神的には落ち着いているとはいえ、やはり昼夜逆転の上に、その夜が緊張感が途切れない夜という状況が2年間も続くと体に変化が出てきます。
連日頭痛が治まらないのです。
薬を飲んでも湿布を貼っても効果がありません。
ブルーライトカットのメガネをしても変わりなしです。
〖頭痛の連続〗自律神経失調症には酷な勤務
私はもともと自律神経失調症と診断され、偏頭痛もちです。
診断された小学生のときから頭痛に悩まされていました。
高校では一旦よかったのですが、看護師として働き出してからたびたび頭痛は起っていました。
母親も偏頭痛もちだったのでさほど違和感なく過ごしていましたが、
この夜勤専従でさらに悪化した印象です。
ですので、いよいよ体力的、そして自律神経的に限界かなという実感がありました。
ぼんやりとした体感ですが、40の厄年に大病する、もしくは倒れるようなリアルなイメージもありました。
これではいけないということで、他部署への異動願いを出しました。
回復期リハビリテーション病棟への異動
通常異動は希望通りいかないという話でしたが、
(それもおかしな話だけど・・・)
私の場合は、『異動できなければパートになるか辞める』とはっきりと記載したおかげで希望が通ったのだと思います。
回復期への異動を希望した理由
医療処置がないから
- 医師との接点がないためストレスが少ないだろう
重症患者・終末期患者がいないから
- 勤務中の急変や亡くなるかもという緊張感が少ないだろう
- 取り除けない苦痛を目の前にしたときの絶望感や虚無感が少ないだろう
検査や治療が少ないから
- 急なタスク、優先順位の変動が少ない
- 日勤への精神的抵抗・負担が少ないだろう
日勤のストレスが少ないだろう
- 日勤ができる
- 夜眠れる
- 体力・自律神経の回復が期待できるだろう
回復期病棟の誤算・デメリット
上記のような目論見で異動した回復期リハビリテーション病棟でしたが、実際にはそう思うようにはいきませんでした。
簡単に言うとこの2つです。
- 仕事の時間が長く家庭にいられる時間が少なくなった
- 仕事上も役割を振られることになり、結果多重業務・多重課題が復活した
具体的には以下のようなことです。
- 日勤が多いと朝家庭にいる時間が少ない
- ロング日勤があり変える時間が遅い
- つまり夜子どもたちと一緒にいる時間が少ない
- 夜勤の開始時間が遅いが子どもたちを迎えに行くには都合が悪い
- つまり夜子どもたちと一緒にいる時間が少ない
- 仕事上でも、異動したことにより役割が付くようになった
- さらに15対1の看護体制のためスタッフが少ない
- よって勤務の融通が利かない、役割が多いなど
- リーダー業務では医師の回診があり処置がある
- 学生指導者として回復期でも大学と准看の受け入れが再開となる
- 学習会係としてセッティングや担当日には休日出勤もありえる
- 小集団活動の一員として役割がある
- つまり多重業務・多重課題がストレスとして再開した
- そして子どもたちとの時間が減るという振り出しに戻った。
- さらに勤務上給料は大幅に減給となった。
〖葛藤〗なぜ子どもたちと一緒にいる時間が減るとダメなのか?
結論:奥さんの育児では子どもが満たされないから
これは夫婦の問題といえど、奥さんの育児にはモノ申したいことが山ほどあります。
とはいえ、これは言っても直りません。むしろ逆なでして逆効果です。
そして奥さんと私が変わればいい問題でもありません。
なぜなら、子どもにとっての母親は代わりのいない唯一無二の特別な存在だからです。
これはどんな母親でも、です。
だから自分が中和剤になって、両者をフォローする必要があるのです。
〖不満〗奥さんの育児にモノ申したいこと
- そもそも自分の事しか考えていないから育児を振り返ろうともしない
- 楽観的過ぎて自分の対応を悪いとも思わない
- 「子どものために」という感覚がない
- 「自分は頑張ってるのに」という不満しかない
- 家庭より子どもより仕事が好きみたい。現にそう言ってる。
- だから子どもたちにすぐイライラをぶつけるし
- すぐに泣かせる。泣かせても放置。
- 自分の言い分を聞かせたがるし押し通す。
- 子どもの意見を聞かない、優先しない、自分中心の考え方。
- 言葉使いが荒い。「おい!」とか舌打ちとかタメ息とか平気でする
- 自分の言葉が子どもの言葉を作る自覚がない
- 子どもが興味があることをやる環境を整えない
職場の異動による影響:最近の子ども変化
子どもたち同士のケンカが増えた。泣くことが増えた。
子どもの成長・価値観や自我の現われと取るからもいるかもしれませんが、私はそうではないと思っています。
原因は、それぞれの心(欲求)が満たされていないから
そう考えています。
欲求とはつまり、
- 愛されているという安心感・自信。
- 好きなことをやっているという満足感。
これです。
でも奥さんを責めるべきではない理由
奥さんは自分の思う育児を精一杯やってくれています。手を抜いているわけではありません。日々疲れるくらい頑張ってくれています。
これは奥さんがそう育ってきたから仕方ないのです。奥さんの中での育児とはこういうものだからです。
この育児によって自分が出来上がったのですから、そこには絶対の自信があるのです。
それは奥さんにとって経験が裏付けされている絶対的な育児像なのです。
ではどうしたらよいか?
だから私がすべきことは、
- 子どもたちをフォローして
- 奥さんをサポートすること
これに注力することです。
今の私の人生の目的
今求められていること
ここで冒頭の課題に戻ります。
つまり、人生の目的です。
今私が求められている、必要とされているのは間違いなく〖家庭〗です。
職場ではありません。
仕事での変わりはいくらでもいます。
でも、子どもたちにとって父親は自分1人です。
奥さんにとっても、夫として、子どもたちの父として存在するのは自分だけです。
自分にしかできないこと
それは、子どもたちの近くにいることです。
そして同時に、
子どもたちが必要としている〖母親〗を引き出すことです。
つまり、
- 奥さんの負担を最大限減らして
- 欲求を満たしてあげること。
奥さんの負担を最大限減らすということ
具体的には
- 掃除
- 洗濯
- 部屋の片づけ
- 子どもたちとのお風呂
- 子どもたちの歯みがき
- 保育園や学童の送り迎え
- 夜の寝かしつけ
- 絵本を読んであげること
- 料理をすること
これらを自分が引き受けることです。
奥さんの欲求を満たしてあげるということ
具体的には
- 好きな仕事に行って
- 夜は好きなお酒を飲んで
- 愚痴を親身になって聞いてあげること
以上の奥さんが持つ欲求を満たしてあげることです。
そうすれば満足して子どもたちにも優しい笑顔を向けてくれるのではないかと思っています。
- そうすれば奥さん、つまり母親がリラックスして日々を過ごすことができ、
- それは結果的に子どもたちに安心や満足感を与えることになり、
- 子どもたちの精神衛生を保ち、愛情を受けている自覚と自己肯定感が高まることにつながるのではないかと考えます。
おわりに
さて、これらを実現するためには私はどう行動すればよいのでしょうか?
今のところ仕事を辞めることしか思い浮かびません。
別の対策があればコメントで教えてください。
私は今年度末を目途にひそかに退職を考えています。
それが自分の人生の目的につながるからです。
とはいえ人生は何が起こるかわかりません。
その時に自分がどういう決断をするのかも含め、楽しんでいきたいと思います。
では!