- 子どもの学びについて興味がある
- いかに勉強を好きになってもらうか試行錯誤している
- 子どもには自主的に勉強してほしい
そう思う親御さんも多いでしょう。
私も3児の父ですから、子どもには楽しく勉強してほしいと願っています。
ですのでなるべく子どもの好奇心を削がないように、
- 親が口出しをしない
- 子どもが興味を持っている話は真剣に聞く
- 子どもの実験の邪魔をしない(傍から見たらいたずらでも)
ということを大切にしています。
これが正しいかは別にして、
日々テキトーなブログを書いている私も、一応そんな感じで子どもの学びについて考えているということです。
そんな今日は、ある教育について議論している番組を見て思ったことを書きます。
結論:学びには楽しさが重要だが、何をもって楽しいと感じているかは重要
学びは楽しいものであるべき
これは本当に共感するポイントです。
しかし大事なのは、《その楽しさはどこからくる楽しさなのか?》です。
- 新しいことがわかる楽しさなのか
- 分かる過程の実験等のエンターテインメント性が楽しいのか
注意すべきなのは
なぜなら、結局それは他人軸であるから。
学びの中での「楽しい」の価値
それは
楽しさを感じることでさらに「知りたい」欲求が高まり、自ら追及していけること
だと思っています。
- 知らなかったことを知る喜び
- どうなるかわからないけど気になる好奇心
そういったことが学びの原点だと思っています。
大切なのは「内なる思い」であり、これは自己評価、自己追及、自己実現につながる大切なポイントです。
他者評価の落とし穴
現代の教育のほとんどは、
- テストに点数がつき、
- 他人の点数と比較され、
- 順位がつけられます。
そしてその順位で評価され、だんだんと競争社会に慣れていきます。
(メリットは一切無視して、あえてデメリットだけを言わせてもらうと)
私はこれでは学ぶ楽しさが薄れていってしまうと危惧しています。
評価される楽しさももちろんあるでしょう。
⇒良い評価を取れば次も良い評価を取るためにもっと頑張れるかもしれません。
⇒でも一方で、良い評価を取ってしまったがゆえに次の評価が気になり、その評価を落としたくなくて保守的になったり消極性を失ったりするかもしれません。
⇒また、そもそも評価を気にせず楽しくやっていたのに、その評価が低かった場合、
自分のやっていたことは間違っていたのかと感じ自己肯定感を下げてしまいかねません。
その結果、学ぶ楽しさは一気に薄れるでしょう。
そうなると短期的には良くても、長期的に見るとデメリットの方が大きいように思えます。
まとめ
他者からの評価制度で、正解不正解、正しい正しくないが明らかになるのは、
- 楽しさを作る可能性がある一方で、
- 楽しさを奪う仕組みである可能性もあるということ。
つまり諸刃の剣であるということは我々大人は理解しておくべきかなと思います。
長い目で見たときに、自主的に学びを追求する姿勢を養うには、
とことん好奇心を育てていくのが一番じゃないかと思う3児の父でした。